幼少期・小学時代
中学・高校時代

小学校1年生の時には、演劇で主役を務め、中学年では運動会の応援団をしました。高学年では学級委員長を2回させていただくなど活発な子供でした。
昭和50年 1月5日 午前8時8分 誕生
地元のコミュニティーセンターで、祖父から居合道を学び始めました。そのなかで「少年老い易く学成り難し」などの論語の一節を暗唱したことも懐かしい思い出です。音大出身の母からピアノも習いました。


野球が好きで、地元の野球チーム「ラッキーズ」に所属したこともありました。年に1、2回は球場でプロ野球を観戦していました。


中学時代の部活は軟式テニス部でした。あまり運動は得意ではなく、活躍はできませんでしたが、楽しい趣味を見つけました。委員会活動では放送委員会の委員長を務めました。マスメディアへの憧れが始まったのはこの頃からでした。



高校の部活は新聞部でした。通学時間が長かったこともあり、1年間で100冊超の本を読むなど「本の虫」でした。
大学時代
新聞記者時代


一生懸命に勉強したとは言えませんでしたが、モラトリアムの最終段階として、家庭教師や編集プロダクション、警備員や新聞社など様々なアルバイトを経験しました。ゼミでは、大和市内の古書店などオンラインショッピングの実地調査を行い、新聞再販制度についても研究しました。 また、テニスサークルで、和気藹々とした生活を送りました。2度の一人旅を含め、年に1回は海外旅行に出かけていました。
最初の配属先となった整理部は、見出しをつけたり紙面レイアウトをしたりする部署でした。記事を丹念に読む時間がない読者に記事の内容を理解してもらえるよう、分かりやすい紙面づくりに注力しました。
現場記者として駆け出しとなる千葉総局では、わずか半年で現職市長3人が逮捕され、マブチモーター社長宅放火殺人事件が発生するなど、慌ただしい日々を過ごしました。また、県政クラブに長らく身を置き、地方行政についても学ばせていただきました。

社会部では学習指導要領改定や教育基本法改正など第1次安倍政権における教育改革の大波のなかで現場取材に精を出しました。都内の中学校で、新聞社の仕事内容についてボランティアで授業させていただいたこともありました。
司法クラブでは裁判員制度が始まる直前の状況を取材しました。
私が最も長く在籍した政治部では、麻生総理番としてスタート。甘利行革大臣も担当させていただきました。
配属後、半年もしないうちに民主党政権が誕生。歴史的な時期の政権運営をウォッチし続けました。民主党政権が失敗したもっとも大きな原因は、官僚をうまく使いこなせず敵視し過ぎたことにあると感じました。
自民党政権復活後には、自民党政調会長番として政策決定過程の変化を、防衛省担当として集団的自衛権の問題などを追いました。遅々として進まなかった選挙制度改革の取材にも汗を流しました。


産経新聞記者時代の記事(抜粋)
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