小田博士(おだ・ひろし)

生年月日:昭和50年(1975年)1月5日  神奈川県大和市出身

大和市議会議員としての役職 (令和元年5月~)

総務常任委員会委員、議会運営委員会委員、市営住宅運営審議会委員

市議会議員(公職)以外の主な活動

自民党大和市連合支部 政調副会長、広報局長

自民党神奈川県連 市町村議員協議会幹事

自民党神奈川県第13選挙区支部 青年局副幹事長

大和中央シティライオンズクラブ、大和市倫理法人会、大和青年会議所シニアクラブ

大和正論の会、金毘羅神社神輿会

神奈川県隊友会県央支部 特別会員

関東若手市議会議員の会 神奈川県代表

​災害ボランティア議員連盟 会員

正面ツラ写真.jpg

経歴

 

昭和50年1月

熊本市で出生(母親が里帰り出産。約1カ月後から大和市で育つ)

昭和54年4月

高座みどり幼稚園入園(昭和56年3月卒園)

昭和56年4月

大和市立西鶴間小学校入学(昭和62年3月卒業)

昭和62年4月

大和市立南林間中学校入学(平成2年3月卒業)

平成2年4月

中央大学附属高校入学(平成5年3月卒業)

平成6年4月

上智大学(経済学部経営学科)入学(平成10年3月卒業)

平成10年4月

産経新聞社に入社(平成26年10月末退社)

平成27年4月

大和市議会議員選挙で2493票を獲得し初当選

産経新聞社時代の職歴

 

・東京本社編集局

整理部(3年余)

地方部千葉総局(約4年)

社会部(文部科学省担当約3年、司法クラブ約半年)

政治部(約5年半)

 ※首相官邸、自民党、公明党、民主党、選挙班などを担当

 ※退社までの直近は防衛省クラブキャップ

 

国政、地方行政、教育問題等に主に取り組む

趣味

 

テニス、カラオケ、旅行

特技・資格

 

居合道三段(無双直伝英信流)

防災士(日本防災士機構)

好きな食べ物

 

ラーメン、お寿司、焼き肉

プロフィール

好きな言葉

 

『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』

 

​

幼少期・小学時代

中学・高校時代

   小学校1年生の時には、演劇で主役を務め、中学年では運動会の応援団をしました。高学年では学級委員長を2回させていただくなど活発な子供でした。

昭和50年 1月5日 午前8時8分 誕生

    地元のコミュニティーセンターで、祖父から居合道を学び始めました。そのなかで「少年老い易く学成り難し」などの論語の一節を暗唱したことも懐かしい思い出です。音大出身の母からピアノも習いました。

    野球が好きで、地元の野球チーム「ラッキーズ」に所属したこともありました。年に1、2回は球場でプロ野球を観戦していました。

  中学時代の部活は軟式テニス部でした。あまり運動は得意ではなく、活躍はできませんでしたが、楽しい趣味を見つけました。委員会活動では放送委員会の委員長を務めました。マスメディアへの憧れが始まったのはこの頃からでした。

   高校の部活は新聞部でした。通学時間が長かったこともあり、1年間で100冊超の本を読むなど「本の虫」でした。

エピソード

大学時代

新聞記者時代

    一生懸命に勉強したとは言えませんでしたが、モラトリアムの最終段階として、家庭教師や編集プロダクション、警備員や新聞社など様々なアルバイトを経験しました。ゼミでは、大和市内の古書店などオンラインショッピングの実地調査を行い、新聞再販制度についても研究しました。 また、テニスサークルで、和気藹々とした生活を送りました。2度の一人旅を含め、年に1回は海外旅行に出かけていました。

    最初の配属先となった整理部は、見出しをつけたり紙面レイアウトをしたりする部署でした。記事を丹念に読む時間がない読者に記事の内容を理解してもらえるよう、分かりやすい紙面づくりに注力しました。

    現場記者として駆け出しとなる千葉総局では、わずか半年で現職市長3人が逮捕され、マブチモーター社長宅放火殺人事件が発生するなど、慌ただしい日々を過ごしました。また、県政クラブに長らく身を置き、地方行政についても学ばせていただきました。

   社会部では学習指導要領改定や教育基本法改正など第1次安倍政権における教育改革の大波のなかで現場取材に精を出しました。都内の中学校で、新聞社の仕事内容についてボランティアで授業させていただいたこともありました。

  司法クラブでは裁判員制度が始まる直前の状況を取材しました。

    私が最も長く在籍した政治部では、麻生総理番(平成21年当時)としてスタート。甘利行革大臣(同)も担当させていただきました。

    配属後、半年もしないうちに民主党政権が誕生。歴史的な時期の政権運営をウォッチし続けました。民主党政権が失敗したもっとも大きな原因は、官僚をうまく使いこなせず敵視し過ぎたことにあると感じました。

    自民党政権復活後には、自民党政調会長番として政策決定過程の変化を、防衛省担当として集団的自衛権の問題などを追いました。遅々として進まなかった選挙制度改革の取材にも汗を流しました。

産経新聞記者時代の記事(抜粋)

 

以下のタイトルをクリックすると記事がお読みになれます。

なお、著作権は産経新聞社に帰属いたします。

○【小田博士の防衛装備品入門】次期哨戒機P1:「世界最高水準」の国産機(平成26年6月7日、ネット上のコーナー)

 

○真夏の対論 消費増税は必要か(平成25年8月10日付)

 

○格安の赤坂宿舎 経費大半は税金 予算12億円 議員負担は4分の1(平成24年4月16日付朝刊)

 

○学習指導要領解説書 「竹島記述」をめぐって韓国の内政干渉を許した舞台裏(月刊誌「正論」 平成20年10月号)

 

○杉並・和田中「学校で塾」開講 公教育に特効薬?劇薬?(平成20年1月27日付朝刊)

 

○「親学」って何? 親子関係学び合う 意識低い人来ない現状も(平成19年5月23日付朝刊)

大和市議会議員

元産経新聞記者

OFFICIAL

WEB SITE

  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon
  • ホーム

  • プロフィール

  • 政策

  • 議会質疑・報告

  • メディア

  • 後援会

  • お問い合わせ

  • More

    ブログ
    Share

    Copyright © 2014    HIROSHI ODA  all rights reserved.