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プロフィール

小田博士(おだ・ひろし)

生年月日:昭和50年(1975年)1月5日  神奈川県大和市出身

大和市議会議員としての公職 (令和4年5月~)

文教市民経済常任委員会委員長、基地対策特別委員会委員、広報委員会委員

基地対策協議会委員、広域大和斎場組合議会議員

市議会議員(公職)以外の主な活動

自民党大和市連合支部 政調会長、広報局長

自民党神奈川県連 市町村議員協議会幹事

自民党神奈川県第13選挙区支部 青年局副幹事長

大和中央シティライオンズクラブ、大和青年会議所シニアクラブ

大和正論の会、金毘羅神社神輿会、宮久保凧あげ同好会

神奈川県隊友会県央支部 特別会員

​​災害ボランティア議員連盟 会員

【過去】大和青年会議所(年齢で卒業)、関東若手市議会議員の会(神奈川県代表、年齢で卒業)、大和市倫理法人会

経歴

 

産経新聞社時代の職歴

​東京本社編集局整理部(3年数カ月、硬派面、地方版)

    地方部千葉総局(約4年、県警、県政など)

    社会部(文部科学省担当約3年、司法クラブ約半年)

    政治部(約5年半)

    ※首相官邸(総理番、官房長官番など)、自民党、公明党、民主党(当時)、選挙班、防衛省などを担当

    ※退社までの直近は防衛省クラブキャップ。国政、地方行政、教育問題等に主に取り組む

学位・資格・特技

経営学士、公共経営修士(専門職)

​防災士(日本防災士機構)

居合道3段(無双直伝英信流)

好きな食べ物

ラーメン、お寿司、焼き肉

趣味

​テニス、カラオケ、旅行

好きな言葉

『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』

『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』

授業・講演等

○東京都杉並区立松ノ木中(新聞記者の仕事)/大和市立大和中(薬物乱用防止)

 

○慶応義塾大学総合政策学部(メディアと地方自治)

 

○大和市倫理法人会モーニングセミナー(行政をチェックするということ~記者と議員の類似点、相違点~)

○厚木VIPセミナー(子供たちを取り巻くネット社会の危険性)

エピソード

幼少期・小学時代

中学・高校時代

   小学校1年生の時には、演劇で主役を務め、中学年では運動会の応援団をしました。高学年では学級委員長を2回させていただくなど活発な子供でした。

昭和50年 1月5日 午前8時8分 誕生

    地元のコミュニティーセンターで、祖父から居合道を学び始めました。そのなかで「少年老い易く学成り難し」などの論語の一節を暗唱したことも懐かしい思い出です。音大出身の母からピアノも習いました。

    野球が好きで、地元の野球チーム「ラッキーズ」に所属したこともありました。年に1、2回は球場でプロ野球を観戦していました。

  中学時代の部活は軟式テニス部でした。運動は得意ではありませんが、楽しい趣味を見つけました。委員会活動では放送委員会の委員長を務めました。マスメディアへの憧れが始まったのはこの頃からでした。

   高校の部活は新聞部でした。通学時間が長かったこともあり、1年間で100冊超の本を読むなど「本の虫」でした。

大学時代

新聞記者時代

    一生懸命に勉強したとは言えませんでしたが、モラトリアムの最終段階として、家庭教師や編集プロダクション、警備員や新聞社など様々なアルバイトを経験しました。

 大学のゼミでは、大和市内の古書店をはじめオンラインショッピングの実地調査を行い、新聞再販制度についても研究しました。 また、テニスサークルで、和気藹々とした生活を送りました。2度の一人旅を含め、年に1回は海外旅行に出かけるなど、好奇の目を持って物事をみるようにしていました。

    最初の配属先となった整理部は、見出しをつけたり紙面レイアウトをしたりする部署でした。記事を丹念に読む時間がない読者に記事の内容を理解してもらえるよう、分かりやすい紙面づくりに注力しました。

    現場記者として駆け出しとなる千葉総局では、わずか半年で現職市長3人が逮捕され、マブチモーター社長宅放火殺人事件が発生するなど、慌ただしい日々を過ごしました。また、県政クラブに長らく身を置き、地方行政についても理解を深めました。

   社会部では学習指導要領改定や教育基本法改正など第1次安倍政権における教育改革の大波のなかで現場取材に精を出しました。都内の中学校で、新聞社の仕事内容についてボランティアで授業させていただいたこともありました。

  司法クラブでは裁判員制度が始まる直前の状況を取材しました。

    私が最も長く在籍した政治部では、麻生総理番(平成21年当時)としてスタート。甘利行革大臣(同)も担当させていただきました。

    配属後、半年もしないうちに民主党政権が誕生。異例づくめの政権運営をウォッチし続けました。民主党政権が失敗したもっとも大きな原因は、官僚を敵視しすぎて、うまく使いこなせなかったことにあると捉えました。

    自民党政権復活後には、自民党政調会長番として政策決定過程の変化を、防衛省担当として集団的自衛権の問題などを追いかけました。遅々として進まなかった選挙制度改革の取材にも汗を流しました。

産経新聞記者時代の記事(抜粋)

 

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なお、著作権は産経新聞社に帰属いたします。

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