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略歴

 

大和市議会議員時代の公職歴(2015~2023年)

市議会議員当時の活動(公職以外)

自民党大和市連合支部 政調会長、広報局長

自民党神奈川県連 市町村議員協議会幹事

自民党神奈川県第13選挙区支部 青年局副幹事長

大和中央シティライオンズクラブ、大和青年会議所シニアクラブ

大和正論の会、金毘羅神社神輿会、宮久保凧あげ同好会

神奈川県隊友会県央支部 特別会員

​​災害ボランティア議員連盟 会員

​(財)日本自治創造学会 会員

大和青年会議所(年齢で卒業)、関東若手市議会議員の会(神奈川県代表、年齢で卒業)、大和市倫理法人会

学位・資格・特技

経営学士、公共経営修士(専門職)

​防災士(日本防災士機構)

居合道3段(無双直伝英信流)

趣味

​テニス、カラオケ、旅行

好きな食べ物

ラーメン、お寿司、焼き肉

好きな言葉

『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』

『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』

授業・講演等

【大学】

○慶応義塾大学総合政策学部

「メディアと地方自治」をゲスト講義、2018年12月18日

【中学校】

○東京都杉並区立松ノ木中

「新聞記者の仕事」、社会部記者時代

○大和市立大和中

2年生約250人に「薬物乱用防止教育」、2017年7月7日

 

【講演】

○大和市倫理法人会モーニングセミナー

「行政をチェックするということ~記者と議員の類似点、相違点~」、2014年7月10日

「暮らしに身近な地方自治」、2023年4月7日

○横浜市内の有志勉強会

「市議から見た地方行政の現状と課題」、2016年10月15日

 

【ネット放送】

○チャンネルAJER

「地方議員のリアル」~2018年6月-11月に計13回

【議員インターンシップ】

○2021 年2-3 月、8月-9 月、2022 年2-3月の3回にわたり、大学生計7名をインターンシップとして受け入れ、地域学習等を実践

プロフィール

小田博士(おだ・ひろし)

昭和50年(1975年)1月生まれ  神奈川県大和市出身

産経新聞記者時代の主な署名記事

 

・「鎌倉シネマワールド閉鎖 迫られる巨額追加投資 不況に揺れるテーマパーク」1998年12月16日
・「【私と東京】テレビ東京アナウンサー八塩圭子さん 下町を満喫する山の手育ち」1999年5月25日
・「【人'01師走】狂牛病 白井市の酪農家(55) 新郎の父…笑顔戻った」2001年12月16日
・「【核心迫真】老人ホーム理事長殺害 希薄な人間関係 心に闇」2002年2月25日
・「【視点】鎌ケ谷の入札汚職事件 現金授受の事実認定が焦点」2002年8月22日
・「【風が吹く時 汗の記憶】(9)ゴルフ池田勇太さん(16) 痛感させられた『プロとアマの差』」2002年9月8日
・「【ニュースウオッチ】マブチモーター社長宅・殺人、放火事件の犯人像に迫る」2002年9月16日、連名記事
・「自民の『県男女共同参画促進条例』修正案 2月議会提出に慎重論」2003年2月7日
・「脱マニュアル断行 激戦区・千葉のデニーズ」2003年5月8日
・「圧勝自民 堂本知事 対立?協調? 県政どうなる」2003年5月12日
・「【小泉の手法 手腕】(1)英国での12年間 不況との闘い"先取り”』2003年8月18日※9月1日まで計11回連載

・「【485万人の政権選択 自民王国の崩壊】民主へ逃げた支持層」2003年11月11日※11月14日まで計4回連載
・「【News face'04】産廃不法投棄 全国ワースト1汚名返上」2004年4月26日
・「【2004参院選 2議席の攻防】ムード低調に幹部危機感」2004年6月30日※7月2日まで計3回連載
・「【知事の軌跡 堂本県政の3年半】(1)『無党派』の悩み」2004年11月※計5回連載
・「【視点】堂本氏再選 前途多難な船出 議会や職員と融和必要」2005年3月15日
・「【潮流】学生確保“あの手この手” 全入時代へ大学 専門学校化」2005年11月15日
・ 「【堀江的ニッポン】(1)『お金がすべて』 過熱…誤解生む金融教育」2006年1月30日
・「『飛び入学』普及低調 開始から8年 実施まだ6大学」2006年3月27日
・「私大の経営は『秘密』 定員割れ、入学者数さえ『?』」2006年4月17日
・「薄れる愛校心 講義で鼓舞 大学の歴史や校歌…早慶戦観戦必修まで」2006年5月21日
・「今時の東大生像は?」2006年6月12日
・「認定こども園10月スタート 幼稚園から移行『給食の壁』」2006年7月24日
・「後絶たぬ大学生の一気飲み死亡事故 『強要』責任求める声」2006年8月21日
・「【明解要解】安倍首相提唱の『大学9月入学』」2006年10月16日
・「【明解要解】敬語の分類再編 『へりくだり』削除に異論も」2006年11月9日
・「【明解要解】義務教育の学校選択制 難しい競争と機会均等の両立」2006年12月6日
・「中学受験 首都圏6人に1人 背景に『ゆとり』公立不信」2007年2月12日
・「『親学』って何? 親子関係学び合う 意識低い人来ない現状も」2007年5月23日
・「【明解要解】大学入試問題 予備校への『外注』」2007年7月25日
・「廃部危機を合併で救え 生徒『大差ない』と好評」2007年10月17日
・「【公教育を問う】第1部 私立人気の陰で(5)進学も人格形成も不十分」2008年1月21日
・「問題集から消える国語長文 著作権絡み転載できず」2008年5月26日
・「【公教育を問う】第5部 国語力の課題(5)ネット世代」2008年7月4日
・「竹島…どうする指導要領解説書 『領土』明記 悩む政府」2008年7月7日
・「【視点】横浜のタイヤ脱落、母子3人死傷 『リコールすれば防げた』企業責任重視」2009年2月3日
・「【裁判員制度 あなたは…】(下)心の負担 正しかったですか?」2009年3月31日
・「【イチから分かる】マニフェストは「空想」?」2009年8月5日
・「【イチから分かる】行政刷新会議 政府の膿洗い出せるか」2009年10月14日
・「事業仕分け 第1ラウンド終了 『成果』重視 5日間で見えてきたのは」2009年11月18日
・「『竹島』高校の指導要領に記述せず 教科書編纂にも影響 領土問題軽視の恐れ」2009年12月26日
・「【本社・FNN合同世論調査】政権浮揚 仕分け頼み」2010年3月23日
・「【イチから分かる】独立行政法人 効率化も天下りの温床」2010年4月28日
・「【復興日本】第1部 震災から見えた危機(2)非常事態 想定せぬ憲法」2011年5月12日
・「選挙改革『比例代表連用制』なら公明躍進、民主は激減 連立政権が常態化」2011年10月25日
・「選挙制度改革 連用制 ここがおかしい!! 本紙試算」2012年2月1日
・「【イチから分かる】『連用制』 得票数に比例せぬ『比例代表』」2012年3月28日
・「格安の赤坂宿舎 経費大半は税金 予算12億円、議員負担は4分の1」2012年4月16日
・「【イチから分かる】『政党交付金』 党財政直結、民自に明暗」2012年7月18日
・「【イチから分かる】『衆院解散』首相の“宝刀” 議会への対抗手段」2012年10月24日
・「【水平垂直】参院選121議席シミュレーション 明暗くっきり」2013年3月24日
・「【真夏の対論】消費増税は必要か」2013年8月10日
・「【自民党は変わったか】『近いうち解散』から1年 減反5年後廃止案」2013年11月7日
・「【自民党は変わったか】『近いうち解散』から1年 タクシー減車法、きょう成立」2013年11月20日
・「【水平垂直】参院選 初の無効判決 過疎地議員の激減必至、進まぬ抜本改革」2013年11月29日
・「【離島防衛 自衛隊の新体制】(下)南西シフト、最新装備結集」2014年5月6日
・「【集団的自衛権】第2部 何が変わるのか(下)国際協力 『9条』の壁」2014年5月14日
・「【集団的自衛権】第5部 5つの歪曲(5)軍事大国のレッテル」2014年8月7日

エピソード

幼少期・小学時代

   小学校1年生の時には、演劇で主役を務め、中学年では運動会の応援団をしました。高学年では学級委員長を2回させていただくなど活発な子供でした。

昭和50年1月  誕生

    地元のコミュニティーセンターで、祖父から居合道を学び始めました。そのなかで「少年老い易く学成り難し」などの論語の一節を暗唱したことも懐かしい思い出です。音大出身の母からピアノも習いました。

    野球が好きで、地元の野球チーム「ラッキーズ」に所属したこともありました。年に1、2回は球場でプロ野球を観戦していました。

中学・高校時代

  中学時代の部活は軟式テニス部でした。運動は得意ではありませんが、楽しい趣味を見つけました。委員会活動では放送委員会の委員長を務めました。マスメディアへの憧れが始まったのはこの頃からでした。

   高校の部活は新聞部でした。通学時間が長かったこともあり、1年間で100冊超の本を読むなど「本の虫」でした。

大学時代

新聞記者時代

    一生懸命に勉強したとは言えませんでしたが、モラトリアムの最終段階として、家庭教師や編集プロダクション、警備員や新聞社など様々なアルバイトを経験しました。

 大学のゼミでは、大和市内の古書店をはじめオンラインショッピングの実地調査を行い、新聞再販制度についても研究しました。 また、テニスサークルで、和気藹々とした生活を送りました。2度の一人旅を含め、年に1回は海外旅行に出かけるなど、好奇の目を持って物事をみるようにしていました。

    最初の配属先となった整理部は、見出しをつけたり紙面レイアウトをしたりする部署でした。記事を丹念に読む時間がない読者に記事の内容を理解してもらえるよう、分かりやすい紙面づくりに注力しました。

    現場記者として駆け出しとなる千葉総局では、わずか半年で現職市長3人が逮捕され、マブチモーター社長宅放火殺人事件が発生するなど、慌ただしい日々を過ごしました。また、県政クラブに長らく身を置き、地方行政についても理解を深めました。

   社会部では学習指導要領改定や教育基本法改正など第1次安倍政権における教育改革の大波のなかで現場取材に精を出しました。都内の中学校で、新聞社の仕事内容についてボランティアで授業させていただいたこともありました。

  司法クラブでは裁判員制度が始まる直前の状況を取材しました。

 このほか耐震偽装事件、ライブドア事件、村上ファンド事件なども取材しました。​

    私が最も長く在籍した政治部では、麻生総理番(平成21年当時)としてスタート。甘利行革大臣(同)も担当させていただきました。

    配属後、半年もしないうちに民主党政権が誕生。異例づくめの政権運営をウォッチし続けました。民主党政権が失敗したもっとも大きな原因は、官僚を敵視しすぎて、うまく使いこなせなかったことにあると捉えました。

    自民党政権復活後には、自民党政調会長番として政策決定過程の変化を、防衛省担当として集団的自衛権の問題などを追いかけました。遅々として進まなかった選挙制度改革の取材にも汗を流しました。

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